みかんがみっかんない

無力なアタシの、不甲斐ない毎日。

インターネットもInstagramもTwitterも糞食らえだ

 

 

Instagramを起動すれば、センス良く切り取られた景色やお洒落なコーディネートや、友達の赤ちゃんの泣き顔や恋人とのツーショットが指を動かす毎に流れてくる。

 

Twitterを起動すれば、今日も素性不明なあの人は下ネタを絶叫しているし旧友は暑い中営業にまわっていて大変そうだ。

 

金曜の朝、二日酔いで割れそうな頭とまだ吐けそうな胃を抱えてベッドに横たわり、それらを眺めているとどうしようもない程に孤独な気持ちになった。

 

私はいったい何をしているんだろう。

 

素敵な景色を見に行けるお金があるのが羨ましい、お洒落な服を買えるお金があるのが羨ましい、愛する旦那さんにそっくりな娘を抱くのが羨ましい、恋人とのツーショットを堂々と全国ネットで公開できるのが羨ましい。

 

素直に下ネタが言えるのが羨ましい、仕事があるのが羨ましい。

 

羨ましいという感情が湧いてくる自分に腹がたつ。誰かが持っているそれを、自分が持っていないからではない。

人と比べることでしか自分をはかれない、自分の幸せの基準がない貧弱な自分が大嫌いだ。

 

 

例えば、自身の恋で迷ったとき、心の開ける友人に相談をする。

各々、独自の感性やどこかで聞いたことのありそうな言葉を引用して「もっと素敵な人がいるよ」と言ってくれる。

アルコールも手伝って心が麻痺した私は「そうだよね!」と思う。

 

だけど家に帰った途端「あんな言葉が欲しかったんじゃない」と思う。

 

もっと素敵な人に出会いたいわけじゃない。

私は恋人と素敵になりたいのだ。

 

まわりから「素敵な人」と認めてもらえる人と一緒にいたいわけじゃない。

私にとって「素敵な人」であってほしい。

 

 

きっと彼の長所は私以外のみんなが彼を愛してくれるし、だったら私はみんなが嫌う彼の短所を愛したい。そういう存在でありたい。

 

だから気の弱い人が好き。

 

なのに世間一般の「普通に考えてこう」とか「こうあるべき」に振り回されて卑屈になり、さらには恋人を傷つけてしまう自分の意志の弱さが情けない。

 

 

インターネットもInstagramTwitterも糞食らえだ。

人の意見に邪魔されず愛を貫けるほど広い器じゃないけれど、でも、だからこそ、聞きたくない意見からはせめて耳を塞ぎたい。

 

今は個人が自分の思想や意見を遠慮なく発信できる時代。だけど倫理や個人情報が厳しく取り締まられているのは、プライバシー云々ではなく単純に「他人の意見を押し付けられたくない」という誰かの我儘が原点ではないかと思う。

 

貯金も収入も学歴も恋愛遍歴も、そんなものはなんにも聞いていない。ただひと言「愛してる」と言われたい。

だけどそれだけでは生きていけないよ、と人は言う。理解できる、だけど今の私にはまだまだ納得できそうにもない。

 

 

いつかまた出会う恋人とは、私なりの曲がった愛でふたりで迷子になりたい。

大人には一生なれない。